民青新聞5月4日号に「誕生の経過」が載っていました。憲法学者の小林武氏が筆者です。アメリカ・中国・イギリスが第2次世界大戦戦勝国として45年7月、ポツダム宣言で日本に要求したのは、軍国主義勢力の除去と民主主義、基本的人権の確立を要求しました。日本の公権力担当者たちは最初無視して戦争を続けましたが、原爆投下、ソ連の参戦で8月14日、ついに日本は無条件受諾しました。それだけ犠牲者を出し続けたのです。帝国憲法は崩壊しました。占領の仕方は関節占領でした。その当時の内閣の継続者は明治憲法を固辞しようとしたためにマッカーサーによって終息し、連合国の支持による進行となりました。当時民間や政党でも案が出されていましたが、主権在民、天皇制廃止など継続案よりも進歩的でした。GHQは三原則を提示し、天皇制存続、戦争の放棄、封建制の廃止を要求しました。マッカーサー案が日本政府に出され、帝国議会に出され、国民主権を「国民総意」にごまかし、天皇主権を維持しようとするなど必死の抵抗がありましたが、日本共産党議員のがんばりなどで主権に直されました。この経過を見ると押し付け憲法ではないことがわかります。国民主権・人権保障・平和主義は押し付けではなく、人類が共有する歴史の到達点であり、侵略戦争を行った反省の元、日本国憲法は正しく取り入れただけのことです。商社から押し付けられた屈辱的な憲法などではなく、誇りです。しかも委託された内閣が明治憲法にこだわり、つくれずにいたことが原因でありと合わせて、GHQは明治内閣が無視した民主的条項も目配りし、日本国民の意思をGHQは良く反映したものと言えます。さらに議会で生存権の保障を追加し義務教育の無償化、国会が最高機関、男女平等の普通選挙権も明記されたことはGHQの圧力を受けながらも主体的に憲法制定にあたったことを示しています。こうしてみると押し付けられたなどの避難の入り込む余地はなく、憲法は広く国民に受け入れられました。憲法の制定の経過を知ることで改悪を狙う高市政権のねらいを見抜き、闘うことができると確信します。













